「自然との共生」というウソ
今度の連休にギフチョウを見に行こうという話が家族で出ている。
それで、ふっとこの本を思い出した。
自然とは何か…。人の手が入らないものが自然なのか。
何だか、読んでいるうちにわからなくなった本。自然保護って何なんだろう…。
足尾銅山の鉱毒を埋めた渡良瀬遊水池や、チェルノブイリの事故後、希少な野生生物たちが再集合しているそうだ。それは単にその一帯から人がいなくなったからだ、と言う。
最近よく耳にする里山という言葉。里山とは「人家に近接し、人間活動の影響を強く受けてきた山野」のことを言うそうだ。人間のコントロール下におかれた自然を、著者は自然とは認めていない。
人為的圧力下の自然において生き残ってきた里山の生物、たとえば派手な色彩を持ち、春の女神とも呼ばれるギフチョウなどの保護に携わっている人たちは、自分たちは万人に認められるべき立派な自然保護を行っていると思い込んでいる。けれども彼らが保護しようとしているのは人間の圧力下において繁栄してきた個人的郷愁の生物なのだ。それを維持するということは自然の遷移を止めて、ある一瞬の風景をそのまま維持しようとすることでもある。
言わんとする意味は何となくわかる。でも。保護は無駄だとは思わないけれどなぁ。自然に目を向けること、自然を意識することは大事なことなんじゃないかなぁ。
皆の意識が変わることで、大きな流れが出来るように思うけれど…。