記憶を記録に残すこと

日常を残したいと思います。

『「ひきこもり」だった僕から』を読んで

びりぃさんのところで読んだ ”価値観の問題が根本にある” で、『「ひきこもり」だった僕から 上山和樹著』という本を読んでみたくて図書館に予約を入れた。やっと手元にやってきて、今日、家事をしつつ疲れた時には座って休みながら一気に読んだ。


色々思うことがあってちょっと重い話題で長くなります。

学生時代の同級生の息子さんが中学へ入学した。我が家の子どものまだ着れそうだった学ランの嫁入り先となった家で、その学ランを着た入学式の写真を送ってくれた。
ところが数ヶ月してメールが来た。
「実は学校へ通えず困っています。もし良かったら一度来て話をしてくれませんか?」
びっくりして我が家から1時間くらい離れた友人宅へ伺った。彼女は離婚して実家へ戻り、おばあちゃん(彼女の母親)と暮らしていた。
もの静かな息子さんは小学校時代サッカーをやっていたとのこと。ゲームと鳥が好きで、以前私は鳥の写真なんかも撮っていたので鳥の話で色々と盛り上がった。
でも、ちょっと気になったのは家族。おばあちゃんは私に訴える。「学校へ行くのは当たり前でしょ。なのに行かないんですよ。朝、いくら起こしても起きない。怠けているんですよ。親の育て方も悪い。きっとゲームでもして遅くまで起きているんでしょう。早く寝させるべきだ。」
母親である私の同級生は言う。「朝、布団をはがして無理矢理着替えさせ玄関まで運ぶんだけど、足が突っ張って靴を履かせられないんだよね。その時には起きてると思うのになんで?おなかや頭が痛いって言うこともある。行きたくないから言っているんだと思うよ。おばあちゃんの言い方はちょっとキツいけれど、世話になっているし言えないし。何とか玄関を出られた時にはホッとするよ。ゲームも時間制限しているんだけどね。」
それを聞いていてやるせない気持ちになった。誰かが悪いんじゃない。どうして学校に行かれないのかじゃなくて、今行かれなくて苦しんでいる彼が目の前にいるということなのに。彼も、聞きもしないのに学校に行かれない色々な理由を言っていたけれど、そのどれもが本当ではない気がした。彼もどこかに犯人探しをしている…。
その後、彼を誘って一緒に鳥を見に行ったりしたが、そういう時は彼も元気よく外出できる。もちろん同級生も一緒に付いてくる。彼にはできれば年の近い仲間が必要だと感じ、同級生にはそんな話もしたのだが…。

同級生から連絡も来なくなり、私も親の病気や自分の体調の不調で彼と会わなくなってしばらくしてから同級生からメールが来た。病院へ連れて行ったそうで、起立性調整障害だった、だから起きられないと。そうじゃないと思うよ、と返すのが精一杯。学校の心理カウンセラーとも話をしたらしいが、学校へ呼び出されるので彼が会いたがらずカウンセリングができないと嘆いていた。

私の頭には「犯人探し」という言葉が浮かんでいた。でも、そうか、この本に書かれていたように価値観か…。親の価値観、彼の価値観。それぞれの価値観が違うということが未成年の彼を追いつめてしまったのかもしれない。
価値観が違う時にどうしたらいいのだろうか…。色々な価値観があっていいとお互い受け入れられるまでどれくらい時間がかかるんだろうか。
どうしたら彼の価値観は受け入れられるのだろう。未成年の彼はどうしたらいいんだろう。

もしこれが自分だったら…。きっと冷静にはなれないだろうし、出口を求めてもがき苦しむことだろう…。自分の価値観を壊さなければならないという相当辛いことを乗り越えない限り子どもとの接点は作れないんじゃないかと頭ではわかるけれど、実際にできるのだろうか…。私を支えてきた私の価値観を。

同級生は不登校の親の会に入って、同じような親たちと話をするようになったようだ。「私は変わったよ。」とメールが来た。彼女が変わるのは良いことだと思う。同級生も受け止めてもらえる仲間や場が必要だと思う。でも彼にこそ仲間や場が必要だと思うな。
今、彼は親が無理矢理受験させた試験のない高校へ通っている。通えているのかどうか…。

この本の著者ように、自分の過去もそして現状も言語化して整理して伝えることの出来る人は少ないのではないかと思う。本の著者は親との関係の改善を求めるのではなく、自ら外の繋がりを作って出て行った。でも現実は経済的にも自立が難しい中、親を頼わざるを得ない当事者、ジレンマ、そして怒り、そんな親子関係の中でもがいている人が多いのではないかと思っている。どうしたらいいのかわからない。正しい答えなんてないんだろう。人との繋がりは難しい。

「ひきこもり」だった僕から

 

 

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